こんにちは、あいです。
前に 鳥羽『海女文化の里』 という記事で、鳥羽の海女文化の「いま」を一通りまとめました。でも書き終えたあとで、あたしの中にひとつ宿題が残ったんです。
海女さんの仕事って、いつから続いているんだろう?
「何百年も」とか「二千年も」とか、よく見かける言い方はあります。でもそれって、どこまでが記録で、どこからが言い伝えなんでしょう。おじいちゃんにその話をしたら、「じゃあ、順番に古いほうから見ていこうか」と言われました。今日はその宿題の答え合わせです。3000年前の貝塚から、ウェットスーツが入ってきた昭和、そして人数が減り続けている今日まで、鳥羽の海女漁を 歴史の縦の線 でたどってみます。

いちばん古い手がかりは、3000年前の貝殻の山
鳥羽市立 海の博物館の解説によると、鳥羽市浦村町の 白浜遺跡 からは、大量のアワビの殻とともに、鹿の角で作られた「アワビオコシ」 と呼ばれる道具が出土しているそうです。遺跡の年代はおよそ 3000 年前とされています。
アワビオコシは、岩に張りついたアワビを剥がすための道具です。つまりこの時代の人たちは、すでに 潜ってアワビを獲る技術と、そのための専用の道具 を持っていたことになります。今の海女さんが使う「磯ノミ」は金属製ですが、役割はまったく同じ。素材だけが鹿の角から鉄に入れ替わって、形はほとんど変わっていません。
ここで正直に書いておくと、「3000 年前の遺跡から道具が出た」ことと、「3000 年前から今と同じ海女漁が続いている」ことは、厳密には同じではありません。集落が一度も途切れなかったことを証明する記録があるわけではないからです。ただ、同じ海で、同じ獲物を、ほぼ同じ形の道具で獲り続けてきた ことは、遺物がはっきり示しています。
なお、海女の記述としてよく引き合いに出される中国の史書『三国志』魏書東夷伝倭人条(いわゆる魏志倭人伝)の「水に潜って魚や鰒を獲る」という一節は、一般に 九州北部の海辺の人々 を指すと解されていて、鳥羽・志摩を直接書いたものではありません。ここは混同されやすいので、あたしも最初、勘違いしていました。

平安時代の法令に「潜女(かづきめ)」が出てくる
文字の記録としてはっきりしてくるのは、平安時代です。
2017 年に国の重要無形民俗文化財に指定された「鳥羽・志摩の海女漁の技術」について、文化遺産オンラインの解説には、海女漁が古くから継承されてきたと考えられ、『万葉集』や『延喜式』などに関係の記述がある と記されています。
とくに『延喜式』は、平安時代中期にまとめられた律令の施行細則で、どの国からどの産物をどれだけ納めるかが細かく書かれた、いわば 国家の台帳 です。そこに志摩国から納める海産物と、それを獲る 「潜女(かづきめ)」 が登場します。潜女の人数や待遇について具体的な数字を挙げる解説も見かけますが、数え方や解釈に幅があるようなので、ここでは断定を避けておきますね。
大事なのは人数そのものより、志摩国が「御食国(みけつくに)」だった という位置づけのほうだと思います。御食国は、朝廷に食材を納める役割を負った国のこと。志摩は米ではなく 海の幸で税を納める国 でした。土地が痩せていて田んぼが少ないという地理的な事情が、そのまま「海に潜る仕事が公の役目になる」という形につながっていったわけです。
海女漁は、趣味でも余技でもなく、制度に組み込まれた仕事 だった。この一点を知ってから、あたしは鳥羽の海の見え方がすこし変わりました。
国崎の熨斗鰒 ― 神宮とつながる一本の線
鳥羽市の東の端、国崎(くざき)町 には、いまも 神宮の御料鰒調製所 があります。
神宮司庁の公式サイトの御料・御料地の説明によると、神宮に供える鰒(あわび)はこの国崎で調製されています。地元の伝承では、その起こりは倭姫命(やまとひめのみこと)が志摩の地を巡られたとき、国崎の海女が鰒を差し上げたことにさかのぼるとされ、「おべん」 という海女の名で語り継がれています。
ここで作られるのは、アワビを薄く長く剥いで干した 熨斗鰒(のしあわび)。神宮の 三節祭(6 月と 12 月の月次祭、そして 10 月の神嘗祭)にお供えされる神饌です。鳥羽市の文化財案内によると、この 「国崎の熨斗鰒づくり」は 2004(平成 16)年に三重県の無形民俗文化財に指定 されていて、伝統的な技法を受け継いだ地元の方々が、鎧崎(よろいざき)の調製所で潔斎して調製にあたっています。
「祝儀袋の右上についている『のし』な。あれの元をたどると、この乾したアワビに行き着くんだよ。」
おじいちゃんにそう言われて、あたし、しばらく固まってしまいました。ご祝儀袋の飾りと、鳥羽の海女さんが潜って獲るアワビが、まさか一本の線でつながっているなんて。
ただ、「二千年続く」という言い方については、慎重に書いておきます。これは 神話・伝承にもとづく由緒 であって、二千年分の記録が連続して残っているという意味ではありません。それでも、神宮の祭のたびに国崎で熨斗鰒が作られ続けている事実そのものは、いま目の前にある現在進行形の出来事です。神嘗祭については 神嘗祭が 10 月 17 日に行われる理由 にも書きました。
白い磯着の時代、そしてウェットスーツ
ここから一気に近代へ。海女さんの姿がいちばん大きく変わったのは、実は この 100 年ほど です。
鳥羽市が公開している海女文化の資料によると、かつての海女さんは 磯着(いそぎ) と呼ばれる装いで海に入っていました。上半身の 磯シャツ と、下に着ける 磯ナカネ(腰巻) に分かれた、薄手の白い木綿の衣です。白は視認性が高く、サメよけになるという言い伝えもあったそうです。
薄手の木綿ですから、当然ながら寒い。夏でも海底では体が震えたという証言が残っています。だからこそ、漁の合間に体を温める 海女小屋(あまごや) が欠かせなかったんですね(海女小屋で何が焼かれるかは 鳥羽の海女小屋、季節ごとの献立 にまとめました)。
そこへ、昭和 30〜40 年代 ― 1960 年代を中心に ウェットスーツ が入ってきます。体温の消耗が劇的に減り、それまで難しかった 冬場の漁 も可能になりました。
でも、話はそこで「便利になってよかったね」では終わりません。長く潜れるようになるということは、獲りすぎてしまう ということでもあるからです。そのため鳥羽・志摩の各地区では、ウェットスーツの着用や潜水時間・操業日数に地区ごとのルールを設ける対応が取られてきました。地域によって細かい決まりは違うので、ここは「一律にこう」とは書けない部分です。
道具は新しくしても、漁そのものは素潜りのまま。 酸素ボンベは使わない。この一線を越えなかったことが、鳥羽・志摩の海女漁が今日まで残った理由なのだと思います。
数字で見る「今」 ― 50 年で 8 分の 1
では、その海女さんは今どれくらいいるのでしょう。
鳥羽市立 海の博物館は、開館以来ずっと地区ごとの操業人数を調査してきました。報道されている同館の調査結果によると、1972 年に 4,124 人だった鳥羽・志摩の海女は、2022 年には 514 人。50 年でおよそ 8 分の 1 です。
減少の理由は一つではありません。アワビなどの漁獲量そのものの減少、後継者不足、高齢化。どれも簡単に解決する話ではないです。
その一方で、2017 年 3 月 3 日、「鳥羽・志摩の海女漁の技術」が国の重要無形民俗文化財に指定 されました。三重県の発表によれば、海女漁として全国で初めての指定です。文化遺産オンラインの解説では、漁法として
- カチド ― 陸から泳いで漁場へ向かう
- フナド ― 夫婦などが船で沖に出て、男性が滑車で引き上げる
- ノリアイ ― 1 隻に船頭と複数の海女が乗り合わせ、漁場でそれぞれ潜る
の 3 種が挙げられていて、保護団体として 鳥羽海女保存会・志摩海女保存会 が指定されています。
人数は減り続けている。けれど技術は国の文化財として位置づけられた。この二つが同時に起きているのが、2026 年 8 月時点の鳥羽です。

おじいちゃんと、数字の話をした日
この記事を書くために古い数字を並べていたら、おじいちゃんが横から覗き込んで、ぽつりと言いました。
「4,124 人が 514 人になった、というのは確かに減った話だ。でもな、514 人はまだ潜っているということでもあるんだよ。」
言われてみればそのとおりで、あたしは減少の側ばかり見ていました。3000 年前のアワビオコシから、『延喜式』の潜女、国崎の熨斗鰒、白い磯着、ウェットスーツ、そして今日の 514 人。この線は途中で細くなりながらも、まだ切れてはいません。
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出典: Daderot, Wikimedia Commons / CC0
20 年ごとに建て替えることで技術をつないできた式年遷宮を 8 年間記録すると決めたあたしにとって、この「細くても切らさない」という感覚は、他人事ではありません。神宮は 20 年周期という仕組みで続きを担保しました。海女漁には、そういう決まった周期がありません。だからこそ、続いていること自体が、毎年更新されている記録なのだと思います。
まとめ ― 歴史の縦の線で見ると
- 3000 年前: 白浜遺跡(鳥羽市浦村町)から鹿角製のアワビオコシとアワビ殻。道具の形は今とほぼ同じ
- 平安時代: 『延喜式』に志摩国の「潜女」。志摩は海の幸で納税する 御食国
- 伝承: 国崎の熨斗鰒。倭姫命と海女「おべん」の由緒。いまも三節祭の神饌として調製が続く
- 昭和初期まで: 白い木綿の磯着。寒さをしのぐ海女小屋が必需
- 1960 年代〜: ウェットスーツ普及。冬漁が可能になる一方、獲りすぎ防止の地区ルールが生まれる
- 今: 1972 年 4,124 人 → 2022 年 514 人(海の博物館調査)。2017 年 3 月に国の重要無形民俗文化財に指定
鳥羽を訪ねるとき、この縦の線を頭の片隅に置いておくと、海の景色に厚みが出ます。まずは海の博物館で 3000 年前のアワビオコシを見て、それから海沿いの集落を歩く ― おじいちゃんおすすめのこの順番、やっぱり正解だとあたしは思っています。
本記事の人数・指定状況は 2026 年 8 月時点で公開されている資料にもとづきます。最新の数値は各機関の発表をご確認ください。
参考
- 鳥羽市立 海の博物館 公式サイト(白浜遺跡出土のアワビオコシ、海女人数調査 1949〜2022 年)
- 文化遺産オンライン「鳥羽・志摩の海女漁の技術」(重要無形民俗文化財・漁法の分類・保護団体)
- 鳥羽市ホームページ「『鳥羽・志摩の海女漁の技術』が国の重要無形民俗文化財に指定されました」(2017 年 3 月 3 日指定)
- 三重県プレスリリース(海女漁として全国初の国指定である旨)
- 鳥羽市公開資料「海女の着衣と道具」(磯シャツ・磯ナカネ)
- 神宮司庁 公式サイト「神宮の御料と御料地」(御料鰒調製所)
- 鳥羽市ホームページ「県指定文化財 国崎熨斗鰒づくり」(2004 年 10 月 18 日 三重県指定無形民俗文化財)
- 日本経済新聞「三重・志摩の海女514人 50年間で8分の1に」(海の博物館調査の報道)
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